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ぶんげいとどうとく

文芸と道徳

夏目 漱石

線上閱讀夏目 漱石《文芸と道徳(ぶんげいとどうとく)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 16,678 字 · 32 頁

青空文庫

も差支ないのです。人間の歴史は今日の不満足を次日物足りるように改造し次日の不平をまたその翌日柔らげて、今日までつづいて来たのだから、一方から云えばまさしくこれ理想発現の経路に過ぎんのであります。いやしくも理想を排斥しては自己の生活を否定するのと同様の矛盾に陥りますから、私はけっしてそう云う方面の論者として諸君に誤解されたくない。ただ私の御注意申し上げたいのは輓近科学上の発見と、科学の進歩に伴って起る周密公平の観察のために道徳界における吾々の理想が昔に比べると低くなった、あるいは狭くなったというだけに過ぎない。だから昔のような理想の持ち方立て方も結構であるかも知れぬが、また我々も昔のようなロマンチシストでありたいが、周囲の社会組織と内部の科学的精神にもまた相当の権利を持たせなければ順応調節の生活ができにくくなるので、自然ナチュラリスチックの傾向を帯びるべく余儀なくされるのである。けれども自然主義の道徳と云うものは、人間の自由を重んじ過ぎて好きな真似をさせるという虞がある。本来が自己本位であるから、個人の行動が放縦不羈になればなるほど、個人としては自由の悦楽を味い得る満足があると共に、社会の一人としてはいつも不安の眼をって他を眺めなければならなくなる、或る時は恐ろしくなる。