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しんのゆうしゅう
秦の憂愁
豊島 与志雄
線上閱讀豊島 与志雄《秦の憂愁(しんのゆうしゅう)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 9,389 字 · 19 頁
無錫の近くに彼の生家があって、それは可なりの豪家らしく、そこへ向後幾年間か引き込んでしまうことに、彼の心はほぼ決しかけていた。いろいろなことで、上海に於ける彼の身辺に脅迫が重なりつつあるのは、私にも分っていた。然しこの事柄については別な物語に譲ろう。
郷里の無錫に心が向いている彼は、無錫料理を好んだ。その夕方、私も彼と共に老酒を飲みながら大石蟹をつっつき、槍蝦をかじり、蚶子をほじくった。清水のなかに住むこの大蟹と小蝦と小貝との生肉について、彼はしきりに自賛していた。
「こういう食物は、寄生虫の伝説さえなければ、日本の文学者にも好かれそうだ。」と彼は言った。
その文学者のことから、私は、星野武夫に逢ったらどうかと言いだした。
「そうだね、礼を欠いてはいけまい。」と彼ははっきり言ったのである。
然し、彼の顔はなんだか曇っていた。それから、眉根に皺を寄せて暫く考えた。
「今からすぐに逢おう。」
そう言ってしまうと、彼はまた晴れやかな顔付きになった。
彼は名刺を取り出して、鉛筆で二三行走り書きした。それから、いつも彼が引き連れている張浩を、星野武夫のホテルへ遣した。