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しごとしてのにほんご

詩語としての日本語

折口 信夫

線上閱讀折口 信夫《詩語としての日本語(しごとしてのにほんご)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 13,401 字 · 27 頁

青空文庫

藤村の事業は、古語が含んでいる憂いと、近代人の持つ感覚とを以て、まず文体を形づくったのである。そうした処に、思想ある形式が完成した。詩の品格は、そこに現れた。われわれは此品格を藤村にはじめて現れたものと見ている。外山正一さん以来、誰の詩にもそれを求める事が出来なかった。何よりも、その詩の音調の卑俗な事は、たとい新体詩史をどんなに激賞しても、中西梅花・宮崎湖処子を尊敬させはしないのである。北村透谷に於てすら殆、無思想を感じるのは、思想的内容を積む事の出来ない近代語を並列して居ったからである。近代語・現在語を以て思想表現をすることが、真の目的と考えられたことであろうか。それは今でも殆、実現の出来ていないことなのだから、まして此時代の人々に負わせてよい責任ではない。古語表現から言えば、落合直文門下の塩井・大町・武島の方々もあるが、これは、中世の語の滑らかさに溺れてしまっただけで、藤村が持っている若干の生の思想にすら到達する事も出来なかった。いささかの手違いのために、思想を持ちながら古語表現の完全に出来なかった先輩がある。北村透谷でなくて、却って湯浅半月氏であった。