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ととやぜんたん

とと屋禅譚

岡本 かの子

線上閱讀岡本 かの子《とと屋禅譚(ととやぜんたん)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 5,874 字 · 12 頁

青空文庫

昼の日本堤は用事のある行人で遊里近い往還とも思われなかった。藁葺屋根を越して廓の一劃の密集した屋根が近々と望まれた。日本建ての屋根瓦のごちゃごちゃした上に西洋風の塔が取って付けたように抽き立っていた。すべてが埃に塗れて汚らしく、肉慾で人を繋ぐグロテスクで残忍な獄屋の正体をありありと見せ付けられる感じがした。空だけが広く解放されていて、そこに鳶と雲がのびのびと泛んでいた。国太郎がこの堤を歩くのは今が始めてではなかった。彼はどこの遊里へ入る前にも俥を下りてしばらく歩くのが癖だった。遊里へ入る前ほど彼の気持を厳粛にし反省深くするときはなかった。そしてそのときほど彼は彼の若き妻を想うときはなかった。

相当の地位の官吏の娘と生れ、英語塾で教育を受けた彼の妻の梅子は、当時に於てはモダンにも超モダンの令嬢である筈だ。ところが歌舞伎芝居が好きで、わけて田之助びいきの処から、其の楽屋に出入りしているうち同じ贔負の国太郎と知り合い、官吏の家庭とはまるで世界の違う下町生活の話を聴いて異常な好奇心と憧憬から自分から進んで黒繻子の襟のおかみさんになったのであった。全くの山の手のお嬢さん気質と、全くの下町の坊っちゃん気質と共通するところがあって彼女は国太郎にナイーブなところを見付けていた。