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デカルトてつがくについて

デカルト哲学について

西田 幾多郎

線上閱讀西田 幾多郎《デカルト哲学について(デカルトてつがくについて)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 19,032 字 · 38 頁

青空文庫

然らざれば、それは我々の自己に対立するもの、対象的有たるに過ぎない。コーギトー・エルゴー・スムといって、外に基体的なるものを考えた時、彼は既に否定的自覚の途を踏み外した、自覚的分析の方法の外に出たと思う。無論それはスピノザのいう如く一つの命題としてスム・コギタンスとしても、問題はこのスムになければならない。我々の自己自身を、デカルトの如き意味において一つの実体と考えるならば、それにおいての内的事実として、いわゆる明晰判明なる真理も、主観的たるを免れない。デカルトも明にこれを意識した。数学的真理の如きも魔の仕事かも知れないとまで考えた。彼は遂に知識の客観性を、神の完全性に、神の誠実性に求めた。デカルトのかかる考といい、ライプニッツの予定調和といい、時代性とはいえ、鋭利なる頭脳に相応しからざることである。デカルトの如く我々の自己を独立の実体と考える時、神の存在との間に矛盾を起さざるを得ない。デカルトは「第三省察」において神の存在を論じた。これは結果による証明といわれる。一つは我々の自己に於てある神の観念の原因を考えることからであり、一つは我々の自己の存在の原因を求めることからである。