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デカルトてつがくについて

デカルト哲学について

西田 幾多郎

線上閱讀西田 幾多郎《デカルト哲学について(デカルトてつがくについて)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 19,032 字 · 38 頁

青空文庫

自覚は自覚によって基礎附けられねばならない。人は自覚を内からという時、自己は既に外に出ているのである。

カントを出立点とした純粋自我的主観主義は、ヘーゲルによって一応克服せられたということができる。認識主観としての純粋自我は、フィヒテにおいて、事行的として弁証法的自我となり、それがフィヒテの実践我として、私はそこに既に新なる実在の世界が開かれたと思うのである。カントにおいて道徳的当為としての実践我の世界は、フィヒテにおいて実在的世界となったのである。シェリングにおいて、その立場から絶対的インディフェレンツまたはイデンティテートとして、一旦スピノザ的になったが、更にヘーゲルに至って、その主観的卵殻を脱して論理的弁証法的実在の世界となった。世界は客観的理性の自己発展の世界となった。世界は、しかし烏滸がましいが、私はヘーゲルにおいても、絶対否定的自覚の立場に到らなかったとも思うのである。いまだ徹底的に主観的卵殻を脱していない。ヘーゲルの一般者は真の個を含むものではない。我々の意志的自己、実践的自己を含むものではない。ヘーゲルの理性は、個人的意志的自己に対立したものである。