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ボロやのしゅんじゅう

ボロ家の春秋

梅崎 春生

線上閱讀梅崎 春生《ボロ家の春秋(ボロやのしゅんじゅう)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 129,411 字 · 263 頁

青空文庫

せいぜい千円か二千円と予想していた蟹江は、すっかり動転して、箸ではさんだ鰈の煮付けを、とたんに土間におっことしてしまいました。

「一万二千円だって?」

「ええ、そうよ。この頃毎晩なんですもの」と久美子はいぶかしげに答えました。「何故そんなことを気にするの。他人のことじゃないの」

「それが、まったく、ひとごとじゃないんだ」

と蟹江は眼をぎょろぎょろさせて、唇をかるく噛みました。その唇の端にふき出た唾の泡を見ながら、久美子は再びやさしく訊ねました。

「なぜひとごとじゃないの。あなたが払うとでも言うの?」

「実はそうなんだ」

「どういうわけなの、それは」

蟹江は困惑した風にうつむいて、黙り込んでしまいました。しんとした沈黙がきて、夜風が軒をわたる音だけが、さらさらさらと鳴っています。うつむいた蟹江の視線は、うすぐらい土間におちていました。そこには先刻取落した鰈が、ぐしゃっと潰れたようなみじめな顔付で、蟹江をしずかに見上げているのでした。

腹の中が急に熱くなるような気がして、蟹江はぐいと顔を上げました。そして背後から駆り立てられるみたいに、勢いこんで顔を充血させ、ぺらぺらとしゃべり始めました。