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ちちをさす

乳を刺す

邦枝 完二

線上閱讀邦枝 完二《乳を刺す(ちちをさす)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 17,474 字 · 35 頁

青空文庫

「ねえ、旦那。今夜お由利が帰ってきましたら、平太郎さんとの話を、すっかり決めて、一日も速くお城から退るようにしたいもんですねえ」

「それはわたしも、望んでいるんだが、お由利の便りでは、上役の袖ノ井さんとやらが、可愛がって下さるとかで、急いで退りたくはないとのこと。今時の娘の心はわたしにゃ解せないよ」

「何んといっても、町家の娘が、いつまでも御奉公をしているのは、間違いの元ですよ。……そういえば、本当に遅いようですが、何か変わったことでも、あったんじゃござんせんかしら?……」

お牧の心配そうな様子に、同じ思いの源兵衛も、町の彼方へ眼をやった。

百人町の一帯は、どの屋敷も、高さ五、六間もある杉丸太の先へ、杉の葉へ包んだ屋根を取り付けて、その下へ灯ろうを掲げてあることとて、さながら群がる星のように美しかった。

明和、寛政のころまでは、江戸の民衆は、急にこぞって家毎に高灯ろうをつるして、仏を迎えたものであったが、天保の今では、まったく廃れて、寺々や吉原の玉屋山三郎の見世に、その面影をしのぶばかり。しかも、鉄砲組同心の住む、青山百人町だけが、いまだにそのしきたりを改めることのない珍しい情景は、江戸名物の一つとなって、盆のうちの一夜は、将軍家が組頭の屋敷を休憩所に、わざわざ駕をまげるのが、長い間の慣わしになっていた。