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かのうせいのぶんがく
夫婦善哉
織田 作之助
線上閱讀織田 作之助《夫婦善哉(かのうせいのぶんがく)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 47,834 字 · 94 頁
人間の可能性という大きな舟を泛べるにしては、余りに小河すぎるのだ。けっして主流ではない。近代小説という大海に注ぐには、心境小説的という小河は、一度主流の中へ吸い込まれてしまう必要があるのだ。例えば志賀直哉の小説は、小説の要素としての完成を示したかも知れないが、小説の可能性は展開しなかった。このことは、小説というものについて、ことに近代小説の思想性について少しでも考えた人なら、誰しも気づいていた筈だが、最高の境地という権威がわざわいしたのと、日本の作家や批評家の中で多かれ少かれ志賀直哉の小説というより、その眼や境地や文章から影響を受けた者が多いという事情がわざわいして、小説を「即かず離れず」の芸術として既に形式の完成されたものと見る考え方が、近代小説の可能性の追求の上位を占めてしまったのである。そして、この事情は終戦後の文壇に於ても依然として続き、岩波アカデミズムは「灰色の月」によって復活し、文壇の「新潮」は志賀直哉の亜流的新人を送迎することに忙殺されて、日本の文壇はいまもなお小河向きの笹舟をうかべるのに掛り切りだが、果してそれは編輯者の本来の願いだろうか、小河で手を洗う文壇の潔癖だろうか。