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おうしゅうにおけるみたちふじわらし

奥州における御館藤原氏

喜田 貞吉

線上閱讀喜田 貞吉《奥州における御館藤原氏(おうしゅうにおけるみたちふじわらし)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 17,211 字 · 34 頁

青空文庫

を送って、貢馬・貢金等はまず鎌倉に沙汰し進むべく、京都に伝進すべきの由承諾したことであった。頼朝いかに東海道の惣官たりとも、国家の公道を経由して貢物を朝廷に送るに干渉すべき道理はないはずであるが、彼はなおかつて藤原基経が、万機巨細皆太政大臣に関白して、しかして後に奏下せよとの詔を受けて、天皇と臣民との間に関白という一の障屏を設け、直接上下の疏通することなきに至らしめたと同じように、天下の武家はまずことごとく鎌倉を経由して、しかして後に朝廷との関係を保たしめんとした政策の強行であったのである。彼はすでに平家滅亡の前から、武家の官位は必ずその推挙によるべきことに定めていたのであった。

しかるに義経は元暦元年八月に、その手続きを経ずして左衛門少尉に任ぜられたがために、はなはだしく頼朝の忿怨を招き、後ついに頼朝より朝敵として追捕の宣旨を申し下さるることとまでなったのである。しかるに義経は巧みにその捜索の手から免れ、はるばる奥州に潜行して秀衡に頼ったのであった。これは頼朝にとっては実に勿怪の幸いで、彼はために秀衡討伐の良い口実を得た訳である。もし強いて推測をこの間に逞しうしたならば、なお将棊の雪隠詰と同一の筆法をもって、義経が少年のさい扶持されたる関係をたどって、ここに落ち行くべく暗に導かれたのであったのかも知れ