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ふじ
富士
岡本 かの子
線上閱讀岡本 かの子《富士(ふじ)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 40,579 字 · 82 頁
鶏はおちこちで鳴き盛って来たが、行く手の垂れ雲は晴れようともしなかった。捲き返す浪打際のいさごを踏んで翁はとぼとぼと辿って行った。海上の霧のうすれの明るみに松の生え並ぶ白州の浜が覗かれた。翁は島かとも見るうちにまた霧に隠れた。
その日の夕近く、翁は垂れ雲を左手にした、垂れ雲の幕の面を平行する行路の上を辿るようになった。落日の華やかさもなく、けさがたからの風は蕭々と一日じゅう吹き続けたまま暮れて行くのであるが、翁には心なしか、左手の垂れ雲の幕の裾が一二尺掠り除れて行くように思われた。あたりが闇に入る前に、翁はその幕の掠り除れた横さまの隙より山の麓らしい大ような勾配を認めたように思った。
草枕、旅の露宿に加えて、夢も皺かく老の身ゆえに、寝覚めがちな一夜であるのはもっとものことだが、この夜は別けて翁をして寝付かれしめぬものがあった。翁は興奮に駆られて自ら歓びをたしなめる下からまた盛り上る歓びにうたた反側しながら呟いた。
「山近し、山近し」
と。
あくる日は翁は一日歩いて、また一二尺掠り除かれた雲の裾から山の麓を、より確かに覗き取ったが、歩めども歩めども山の麓の幅の尽きらしい目度を計ることができなかった。