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まぼろしのかなた
幻の彼方
豊島 与志雄
線上閱讀豊島 与志雄《幻の彼方(まぼろしのかなた)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 41,763 字 · 84 頁
「後産でございますよ。」と産婆が云った。
順造は一寸其処につっ立っていたが、産婆が何かの用事にかかったので離室の自分のへ逃て行った。
大丈夫だ、大丈夫だ! 何がかは分らないでただそういう気持がした。
時計を見ると、十二時を少し過ぎていた。あたりが静まり返っていた。雨の降るらしい音が一寸したので、耳を澄したがはっきり分らなかった。窓を開いてみた。妙に空気が稀薄に思えるような、澄み切った静かな夜だった。空には星が一面に輝いていた。
彼はその星々を眺めた。空高く一際輝いている星が一つあった。それに眼を定めてると、冴え返った光りが心の中まで沁み込んできた。星と人間の運命とを一緒にして考えた古人の思想が、嬉しく胸に蘇ってきた。人が生れるのは上潮の時だ、そういうことまで思い出された。
上潮だ、上潮だ!……星が光ってる!
嬉しさとも淋しさともつかないもので、胸が一杯になった。
産の始末がすっかり済んでしまってから、彼は産婆と助手と一緒に、取っておきの鮨を茶の間で食べた。
「実は心配しておりましたんですよ。予定よりだいぶお早くて、お児さんの位置が骨盤まで下っていなかったものですから、手間が取れはしないかと思っていました。