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いようへん

影を踏まれた女

岡本 綺堂

線上閱讀岡本 綺堂《影を踏まれた女(いようへん)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 23,110 字 · 46 頁

青空文庫

勿論そのばあさんが彼を睨むわけでもない、彼にむかって声をかけるわけでもない、ただ黙って突っ立っているのだが、それがだんだんに彼の恐怖を増すばかりで、彼はもうどうしていいか判らなくなった。自分はこのばあさんに取付かれたのではないかと思った。

月の出るにはまだ余程時間があるのだが、彼にとってはもうそんなことは問題ではなかった。なにしろ早く家へ帰ろうと思ったが、その時代のことだから電車も鉄道馬車もない。高輪から人力車に乗って急がせて来ると、金杉の通りで車夫は路ばたに梶棒をおろした。

「旦那、ちょいと待ってください。そこで蝋燭を買って来ますから。」

こう言って車夫は、そこの荒物屋へ提灯の蝋燭を買いに行った。荒物屋――昼間のおかみさんのことを思い出しながら、彼は車の上から見かえると、自分の車から二間ほど距れた薄暗いところに一人の婆さんが立っていた。それを一と目みると、彼はもう夢中で車から飛び降りて、新橋の方へ一目散に逃げ出した。

師匠の家は根岸だ。とてもそこまで帰る元気はないので、彼は賑やかな夜の町を駈け足で急ぎながら、これからどうしようかと考えた。かのばあさんはあとから追って来るらしくもなかったが、彼はなかなか安心できなかった。