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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

線上閱讀山本 周五郎《樅ノ木は残った(もみノきはのこった)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 頁

青空文庫

そんなとき彼は、三十四五にも、また、三十そこそこのようにも若くみえた。

甲斐は手紙を書いていた。机は北向きの窓の下にあり、あけてある窓の外に、矢竹が茂っていた。時刻は五時。戸外はかなり濃い霧で、矢竹の葉はびっしょりと濡れ、そよとも動かず、重たげに垂れていた。

――自分が江戸へ来たのは、去年の六月だから、この五月が御番あけであった。

甲斐はそう書いていた。

――御番があけて帰国したら、おめにかかって申上げるつもりだった。しかし御承知のような大変が起こって、まだしばらくは帰国ができないようである。そこで、こんど里見十左がくにもとへ使者に立つというので、それに託して近況をお知らせする。

甲斐はそう書いた。

彼が手紙を書いている居間の、ひと間おいた向うの座敷から、高い話し声が聞えて来る。一人は伊東七十郎であった。そのよくとおる、傍若無人な声で、伊東七十郎だということはすぐにわかった。

「いったい、なんだって決闘なんか申し込んだんだ」と七十郎の云うのが聞えた。

「このおれに意見をしおった」と相手の云うのが聞えた。

それは里見十左衛門の声であった。その声には、実直で頑固な性分がよくあらわれていた。