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ぶしゅうこうひわ
武州公秘話
谷崎 潤一郎
線上閱讀谷崎 潤一郎《武州公秘話(ぶしゅうこうひわ)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 107,572 字 · 209 頁
それは則重の顔に対して全く此の前と同じ角度、同じ方向から放たれたものだが、物静かな宵のことで、ひゅうッと風を切る音がしたので、アワヤと云う時則重は反射的に顔を背けつゝ身を反らした。もしそうしなかったら今度こそ彼の兎唇の上にある隆起物が其ッ平らになってしまったかも知れない。しかしそれにしても、彼が身を避けるより矢の来る方が速かったので、無傷と云う訳には行きかねた。「あっ」と云って彼が上体をうしろへ引き、右から来る矢をカワすべく頸を左へ捻じた途端に、矢は顔の右半面をさっとかすって、そこに凸出していた肉片の幾分と軟骨とを、―――つまり、彼の右の耳朶を、―――浚って行った。
直ちに腰元共が、一と組は則重を介抱し、一と組は薙刀を持って庭へ駈け出したのは云う迄もない。花見以来既に三月も過ぎていて、あれきり何事も起らなかったし、下手人の捜索も絶望に帰して、多少油断が生じかけている折柄であったが、此の前の経験で周到な警戒網が即時に張られた。が、曲者は空を翔ったか地にもぐり込んだか、今度も見附からずじまいであった。
則重の負傷は、生理的障害が少いと云う点で此の前と同じ、―――いや、此の前よりもなお軽かった。