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しんのしゅっぱつ

秦の出発

豊島 与志雄

線上閱讀豊島 与志雄《秦の出発(しんのしゅっぱつ)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 14,532 字 · 29 頁

青空文庫

正月のまにあいますようにというのが、彼女の一心だった。――今年ももう年末近くで、秦は梅安のことを思い出し、蘇州の模様絹を買って与えた。彼女はいたく喜んで、娘のために裁縫をしているのである。

「こういう女を、いや、こういう人情を、ほかに上海で見かけられますか。」と秦は尋ねた。

洪は頭を振った。

「上海がそういう人情を失ったのは、農精神を全然喪失したからです。」

だから上海には、平時でも十万から二十万に及ぶ苦力と乞食がうようよしていたし、冬期には月に二三千人の凍餓死者を出したことも珍らしくない。彼等をすべて農村へ帰農させるべきだ。米麦の耕作の合間には、棉を栽培してもよかろうし、豚を飼育してもよかろう。もしも棉栽培が全耕地の五パーセントに達すれば、その収穫は全東亜を優に賄えるし、豚の頸毛は生糸よりも優秀な利用価値がある。好んで乞食や苦力の生活に執着する必要はないのだ。

「上海人種は、そういうことをすべて忘れています。」と秦は言った。

「左様。」と洪は同意した。「上海は、あなたが説かれるような農の意識を失っている。然し国家存立には、他の精神も必要だろうからな。」