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はんちゅうとしてのくうかんについて
範疇としての空間に就いて
戸坂 潤
線上閱讀戸坂 潤《範疇としての空間に就いて(はんちゅうとしてのくうかんについて)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 45,453 字 · 89 頁
寧ろそれは非歴史的なまでに根本的な転倒を伴うかも知れない。併しこの種類のことは今の問題とあまり関係のあることではない。さてこの要求は、主観と客観との対立を除き去ることを要求する。処が最初に決めた通り、この対立を予想する場合が認識論的であり、そうでない場合が存在論的である筈であった。であるから範疇を客観に於て求めるという着眼は、吾々をして認識論的範疇を去って、存在論的範疇へと推し進ませずには置かないわけである。
存在論的範疇は始めから主客の対立を認めない立場に立つ。それ故に厳密に云うならば、客観にぞくすと云う言葉すら意味がない。今この種類にぞくす重な範疇論を挙げるならばその数は非常に多いであろう*。私は今その一例を掲げ之を指摘するだけに止めなければならない。ヘーゲルがそれである。
* この立場に於て直ちに思い至るのはアリストテレスの範疇であるであろう。所謂十個の範疇の内最も重大なのは云うまでもなく実体のそれである。処が実体は独り「範疇」の中心であるばかりではなく、同時に又「形而上学」の中心ででもある。然るにアリストテレスに於てその論理学と形而上学との結び付きは、人も云うように、薄弱であることを免れない。