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にんしきろんとはなにか

認識論とは何か

戸坂 潤

線上閱讀戸坂 潤《認識論とは何か(にんしきろんとはなにか)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 58,432 字 · 116 頁

青空文庫

つまり二つを統一して把握する言葉がなくては困る。ではなぜ、この二つを統一して把握する言葉を「認識」と呼ばずに、ワザワザその片一方だけを認識と呼ぶのだろうか。

ドイツ語やその他の外国語の場合は、今の場合直接の関心にはならぬ。認識という日本漢語について云えば、認識をそういう風に狭く、学術上の術語のように用いることは、決して哲学的な知恵とは考えられない。哲学という学術に於ては、そういう超世間的で超常識的な用語を以てしては、決して科学的になれないのである。哲学上の用語は、云わば時代の良識に基かなくてはならぬ。哲学に於ては、実際生活に基くニュアンスを全く取り除いて、形式的な定義だけで押して行くような、ああした一種の数学論に見られるような形式主義や公理主義は、それ自身虚偽にぞくする。哲学上の用語は、時代の用語を、最もよく洗練し、深め、且つ機動性を持たせるものではなくてはならぬ。こういう意味に於て、私は、凡ゆる常識的用語を、「広範な意味に於て」理解することが、哲学の任務の一つだと考える。いや、之こそ抑々認識論なるものの実地の第一歩でもあるのだと云いたい。常識語は現象の表面を匍匐するか、偶然な内容を固執する。