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くぎぬきとうきちとりものおぼえがき

釘抜藤吉捕物覚書

林 不忘

線上閱讀林 不忘《釘抜藤吉捕物覚書(くぎぬきとうきちとりものおぼえがき)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 15,998 字 · 32 頁

青空文庫

避ける暇もなかったので、あっという間に伝二郎はどうっと女にぶつかった。と、踵を返して女はばたばたと走り出した。口まで出かかった謝罪の言辞を引っ込まして、伝二郎は本能的に懐中に紙入れを探った。なかった。たしかに入れておいたはずの古渡唐桟の財布が影も形もないのである。さては、と思って透かして見ると、酔眼朦朧たるかれの瞳に写ったのは、泥濘を飛び越えて身軽に逃げて行く女の後姿であった。

「泥棒どろぼう――。」

舌は縺れていても声は大きかった。泳ぐような手つきとともに伝二郎は懸命に女の跡を追った。

「泥――泥棒、畜生、太い野郎だ!」

と、それから苦にがしそうに口の中で呟いた。

「へん、野郎とは、こりゃあお門違えか――。」

すると、街路の向うで二つの黒い影が固まり合って動いているのがおぼろに見え出した。一人は今の女、もう一人は遠眼からもりゅうとしたお侍らしかった。

「他人の懐中物を抜いて走るとは、女ながらも捨ておき難き奴。なれど、見れば将来のある若い身空じゃ。命だけは助けて取らせるわ。これに懲りて以後気をつけい――命冥加な奴め。行けっ。」

侍の太い声が伝二郎の鼓膜へまでびんびんと響いて来た。