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デカルトてつがくについて

デカルト哲学について

西田 幾多郎

線上閱讀西田 幾多郎《デカルト哲学について(デカルトてつがくについて)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 19,032 字 · 38 頁

青空文庫

しかし爾考えられるならば、スピノザ哲学も数学的主知主義に堕するのほかない。而して今日の無矛盾性の数学は、果して当時考えられたる如く十全なりや否や。スピノザ哲学においては、右の如き立場の相違が明にせられなかったのは、主語的論理的であった故であると思う。そこには論理的立場の転回がなければならない(「予定調和を手引として宗教哲学へ」参照)。しかし私は右の如く科学と哲学との相違を明にすべきを主張するものではあるが、一派の学者の如く単に両者を無関係的に考えるものではない。哲学は科学を尊重し、科学を材料とするとともに、科学は哲学に基礎附けられねばならない。ガリレイをば根柢なしに建てたと評したデカルトの目的は、新自然学の形而上学的基礎附にあったともいわれる。しかしそれは両者の立場を混同して、科学の中に哲学を入れるという如きことではない。唯、科学隆盛以来、哲学は科学の下婢となったという感なきを得ない。輓近に至って、単に認識論的となり、更に実用主義的ともなった。哲学は哲学自身の問題を失ったかと思われるのである。

私はデカルト哲学へ返れというのではない。唯、なお一度デカルトの問題と方法に返って考えて見よというのである。