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よばれしおとめ
呼ばれし乙女
岡本 かの子
線上閱讀岡本 かの子《呼ばれし乙女(よばれしおとめ)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 5,165 字 · 11 頁
千歳はしばらく水を眺めて心を空しくしていたがふと慶四郎を顧ると驚いた。慶四郎は、いつの間にか、何かに憑かれているような顔になっている。千歳の右の手に視線を蒐めている。その眼は鋭く凝って、盛上った黒い瞳は溶したような光に潤っている。
千歳はこんな気味の悪い慶四郎を見たこともないが、また、こんな妖しく美しく青春に充された慶四郎を見たこともなかった。この天才の青年はいま芸魔に憑かれているのであろうか――苦しいほど快い脅えが千歳の身体の髄まで浸み、千歳を否応なしに弱気な娘にする。彼女はいま、美しい虹に分別の意を悉く閉され、ただ慶四郎の望むことなら何でも叶えてやり度い、慶四郎の望む夢なら自分にもまた願う夢であるという気持になり切ると、いつの間にか千歳は、慶四郎の望むままに水に向って手を差し伸べていた。
腕頸に淡いくびれがあり、指の附根の甲に白砂を耳掻きで掬った痕のような四つの小さい窪みのできる乙女の手は、いま水晶を溶したような水の流れを遮る――水は潺湲の音を立て、流勢が勝って手に逆うとき水はまた淙々と響く。
「よし」
暫くして慶四郎が夢から醒めた者のうめきのような声をたてた。