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ひかげのまち

幻の探偵雑誌5 「探偵文藝」傑作選

松本 泰

線上閱讀松本 泰《幻の探偵雑誌5 「探偵文藝」傑作選(ひかげのまち)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 52,797 字 · 107 頁

青空文庫

その日も私は立止って無意識にポケットへ手を入れた。昨夜の中に消費果してしまう筈の金が、まだ幾許か残っていたので、どうせ貧乏になりついでだと思って、掴出した貨幣を老人の古帽子の中へ投入れてやった。その時、指先にからまって出てきた緋房がバサリと敷石の上へ落ちた。

「これは……」と思う間に老人は故意か偶然か、大きな破れ靴の下に緋房を踏かくしてしまった。私は鳥渡当惑して、取返したものか、それとも其儘にしたものか、思案に迷った。要するに私は気負けがしたのである。靴の下の緋房を問題にして騒ぎ立てるのは後日に面倒を惹起する基となりはせぬかというような弁疏を考えて、後に心を残しながら、老人の傍を離れた。

私はV停車場の構内で、新聞の正午版を買った。社会欄の下段に前夜ストランドの裏小路に起った殺人事件の顛末が掲げてあった。私は息も吐かず、その記事を読終ると、安堵の思いをした。被害者は旅廻りの伊太利曲芸団のひとりであるという事である。中には無論「彼女」という文字も、「緋房」という文字もなかった。

私は停車場の前通りの店で粗末な食事を済すと、西へ廻った緯日の黄色くさしている敷石の上を戻っていった。