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おもいだすことなど

思い出す事など

夏目 漱石

線上閱讀夏目 漱石《思い出す事など(おもいだすことなど)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 57,003 字 · 113 頁

青空文庫

ついでにどことかでは家がまるで流されてしまって、そうしてその家の宝物がどことかから掘り出されたと云う話もした。この下女は伊東の生れで、浜辺か畑中に立って人を呼ぶような大きな声を出す癖のあるすこぶる殺風景な女であったが、雨に鎖された山の中の宿屋で、こういう昔の物語めいた、嘘か真か分らないことを聞かされたときは、御伽噺でも読んだ子供の時のような気がして、何となく古めかしい香に包まれた。その上家が流されたのがどこで、宝物を掘出したのがどこか、まるで不明なのをいっこう構わずに、それが当然であるごとくに話して行く様子が、いかにも自分の今いる温泉の宿を、浮世から遠くへ離隔して、どんな便りも噂のほかには這入ってこられない山里に変化してしまったところに一種の面白味があった。

とかくするうちにこの楽い空想が、不便な事実となって現れ始めた。東京から来る郵便も新聞もことごとく後れ出した。たまたま着くものは墨がにじむほどびしょびしょに濡れていた。湿った頁を破けないように開けて見て、始めて都には今洪水が出盛っているという報道を、鮮やかな活字の上にまのあたり見たのは、何日の事であったか、今たしかには覚えていないけれども、不安な未来を眼先に控えて、その日その日の出来栄を案じながら病む身には、けっして嬉しい便りではなかった。