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うえの
日和下駄 一名 東京散策記
永井 荷風
線上閱讀永井 荷風《日和下駄 一名 東京散策記(うえの)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 33,955 字 · 70 頁
市中行賈の中、恰も雁の去る時燕の来るが如く、節序に従って去来するものは、今の世に在っても往々にして人の詩興を動かす。遅桜もまだ散り尽さぬ頃から聞えはじめる苗売の声の如き、人はまだ袷をもぬがぬ中早くも秋を知らせる虫売の如き、其他風鈴売、葱売、稗蒔売、朝顔売の如き、いずれか俳諧中の景物にあらざるはない。正月に初夢の宝船を売る声は既に聞かれなくなったが、中元には猶お迎いお迎いの声を聞く。近年麻布辺の門巷には、春秋を問わず宿雨の霽れる折を窺って、「竿竹や竿竹」と呼んで物干竿を売りに来るものがある。幾日となく降りつづいた雨のふと霽れて、青空の面にはまだ白い雲のちぎれちぎれに動いている朝まだき、家毎に物洗う水の音と、女供の嬉々として笑う声の聞える折から、竿竹売の田舎びた太い声に驚かされて、犬の子は吠え、日に曝した雨傘のかげからは雀がぱっと飛び立つなど、江戸のむかしに雨の晴れた日樋竹売の来たという其の頃の情景もおのずから思合される。
薬を売り歩くものには、多年目に馴れた千金丹を売るもの、定斎の箱を担うものがある。千金丹を売るものが必手に革包を提げ蝙蝠傘をひらいて歩いたのは明治初年の遺風であろう。