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しらねのふもと

白峰の麓

大下 藤次郎

線上閱讀大下 藤次郎《白峰の麓(しらねのふもと)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 22,238 字 · 45 頁

青空文庫

筆の先が固くなる。詮方なしに写生をやめた。

池の茶屋というのは、この冷い水の滸りに建てられたるただ一軒の破ら家である。入口の腰障子を開けて入ると、すぐ大きな囲炉裡がある。囲炉裡の中には電信柱ほどもある太い薪木が燻っている。上に吊された漆黒な鉄瓶には、水の一斗も入るであろう。突当りは棚で、茶碗やら徳利やら乱雑に列んでいる、左の方は真暗で分らないが、恐らく家族の寝間であろう、ここでも飴を売るかして、小さな曲物が片隅に積んである。

おかみさんは盥に湯をあけてくれた、凍りきった足にはまたとなく快よい。通されたのは池に面した座敷で、形ばかりの床の間もあれば、座敷ともいえようが、ただ五、六枚の畳が置いてあるというだけで、障子もなければ襖もない。天井もない。のみならず、数十羽の鶏の塒は、この部屋の一部を占領して高く吊られてある。

五、六枚畳んで重ねられた蒲団の上には、角材をそのまま切って、短冊形の汚れた小蒲団を括りつけた枕が置かれてある。その後の柱には、この家不相応な、大きな新しい時計が、午後三時を指している。床の間には、恐れ多くも、両陛下の御肖像を並べて、その下に三十七年宣戦の詔勅が刷られてある。