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たでくうむし

蓼喰う虫

谷崎 潤一郎

線上閱讀谷崎 潤一郎《蓼喰う虫(たでくうむし)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 110,066 字 · 216 頁

青空文庫

「何にしましょ」

「何でもいいが、なるべく僕の知っているものにして下さい」

「そんなら『ゆき』がいいだろう」

と、老人は杯を要にさした。

「『ゆき』なら要さんも聞いたことがあるだろう」

「ええ、ええ、僕の知っているのは『ゆき』と『くろかみ』ぐらいなもんです」

要はその唄を聞いているうちに、ふと思い出したことがあった。子供の時分、その頃の蔵前の住居と云うのは、今の京都の西陣あたりの店の構えと同じように、表通りは間口の狭い格子造りになっていて、奥の方が外から見たよりはずっと深く、幾間も幾間も細長くつづいている先にちょっとした中庭があり、廊下づたいにそこを越えて行くと、一番奥のどんづまりに又相当な離れがあって、そこが家族の部屋になっていたのであるが、そう云う同じ間取りの家が右にも左にも並んでいたので、二階に上ると、板塀の忍び返しの向うに、隣りの家の中庭が見え、離れ座敷の縁側が見えた。………だが、その時分の東京の下町は、今から思うと何と云う静かさだったであろう。おぼろげな記憶ではっきりしたことは云えないけれども、あの頃ついぞ隣りの家の話声らしいものを聞いたおぼえがない。