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なるとひちょう

鳴門秘帖

吉川 英治

線上閱讀吉川 英治《鳴門秘帖(なるとひちょう)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 56,957 字 · 114 頁

青空文庫

足を拭いていると、帳場格子にいた会田屋の老主人が、ちらと見て、初めて気がついたように筆を耳に挟んで出てきた。

「これはお珍らしいことで、四国屋のお内儀様ではございませんか」

「おや」と、つつましい笑い方に黒豆をならべたようなおはぐろの歯を見せて、

「善七さんでしたか、いつもお達者らしくて、ほんに、けっこうでございます」

「はい、おかげさまで、ありがたいことでござります。したがお内儀様、こんどもやはり善光寺へお詣りのお帰りでいらっしゃいますか」

「ええ、それが実は、小諸のほうの取引先に、ちと藍草の掛けがたまりましたので、信心やら商用やら」

「おお、それじゃたいそうな廻り道で……きょうはあの和田峠をお越えなさりましたな。さぞお疲れなことでございましょう」

「疲れもどこかへ消えてしまいました。その和田峠から、とんだ目にあいましてね」

「ま、そこではなんでございますから、さ、どうぞこっちへ」

「新吉や」と、手代の方へ目交ぜをして――「お前も早くこッちへ体を隠したがよい。そんな所に坐っていると、また外から見えるじゃないか」

「四国屋様」

「はい」

「なにか外で、怖ろしいことにでもお逢いなされましたか」