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てらさかきちえもんのとうぼう

寺坂吉右衛門の逃亡

直木 三十五

Read 寺坂吉右衛門の逃亡 (てらさかきちえもんのとうぼう) by 直木 三十五 (なおきさんじゅうご) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 9,243 characters · 19 screens

Aozora Bunko

「奴さん、お一人かえ」

「うむ――葛西まで、お使の、戻りだ」

「この雪にのう」

吉右衛門は、鰊と、味噌汁と、酒とを前にして

(うまい――ああうまい。久し振りで、しみじみと、打解けて味わえる。酒を飲んでいても仇討。飯を食っていても仇討――一体、仇討をして、何んに成るんだ。士ならとにかく、こんな下郎が?――人の真似をした、猿の物真似だ、と、そういわれたって仕方がない。実際、物の役にも、何んにも立たないんだから――附人に斬られてしまうか、吉良の小者と、囓りっこをして、鼻の頭でも、食いちぎられるか?――下郎は、下郎らしく――)

快く、胃へ通って、血の中へめぐっている酒を、微笑して、首を傾けて

「うめえ」

と、いった時

「爺さん」

と叫んで、一人の若い者が、軒下へ立った。そして、口早に

「えらい者が、通る、早く、見に行けよう」

「何がさ」

「何がって、そら、播州浅野の刃傷があったろう」

「ううん、あった」

「その家来が、昨夜、吉良上野を討ちに行って、今引揚げてくるんだ」

「婆あ、店頼むぞ」

「何んじゃ、爺さん」

「上杉から人数が出て、お前、その辺で一戦、やろうてんだが、二度と、見られねえぜ」