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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

Read 新書太閤記 (しんしょたいこうき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 186,659 characters · 372 screens

Aozora Bunko

「……どうしたものか」

家康は、爪をかむばかりであった。――もうひとつ、かれの心に、絶えない危惧は、岡崎、浜松の将士の間に見える小牧以後の不満と不穏な空気である。

「そうだ。忍ぼう。忍の一字を護符として」

家康は、信州の出先き軍へたいして、即日、引き揚げを命じた。

九月二十四日以来、全部隊は、上田から退軍を開始した。真田昌幸は、逸る城兵を抑えて、これを追わなかった。

図に乗って、徳川勢を追わなかったのは、さすがに兵事に老巧な真田昌幸の賢明なところだった。

また、一時的な世上の嘲笑などにこだわらず、「これは、まずい」と観るやいな、見切りをつけて、すぐ全軍の撤兵を命じたのは、これも、さすがに、家康といわねばならぬ。

進む決断はやすく、退かせる果断は難しい。――内部の不平、世上のあざけり、自己の面子、あらゆる意味で、甘んじて負けて引き退がるほど、困難なことはない。

しかし、もし家康に、大局の明もなく、将来の見通しもつかず、もう一歩、強がって、

(景勝が出馬して、真田を助けるなら、自身も、馬を信濃に進めん)

とまで、動いてしまったら、もうそれは実に、秀吉の術中に陥ちないではいられなかったであろう。