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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

Read 新書太閤記 (しんしょたいこうき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 187,757 characters · 375 screens

Aozora Bunko

「地蔵ですっ」

「木之本の御陣場近くです」

誰となく口々に答えるをよそに、秀吉はなお鞍坐のまま、

「湯をひと口。水でもよい……」

と、求めた。

さし出す柄杓を、柄短に取って、ガブと一口のみ、初めて胸をのばした。

駈け寄った屯の部将が、馬前に来て、何か挨拶したが、秀吉の注意をひく間もなかった。秀吉と同時に馬から降りた人々やら、五馬身、十馬身、または半町、一町ぐらいな差で、駈け続いて来た面々が、わらわらと一時に駒を捨てたからである。忽ち附近はこの怒濤一色に塗りつぶされていた。

「高いな。だいぶ」

秀吉はすぐ歩を運び、櫓の下へ寄って宙を見上げていた。野天の井楼なので、階段もない。組まれている脚木を頼りに攀じ登るのである。

彼は率然と、若年一軽兵の頃の体験を、その肉体に思い出したらしい。持っていた柿団扇(軍配)の紐を佩刀の環にくくり付けると、井楼の雁木に足を懸け始めた。小姓たちは、その尻を押し上げ押し上げ、人梯子を重ね上げた。

「あっ。お危のうござる」

「ただ今、お梯子を」

遠くでは叫んでいたが、秀吉の姿は、はや二丈余の宙に立っていた。

この夜、天は清明――

尾濃平野を過ぎた暴れの余波もしずまり、星は静かに、琵琶、余吾の二湖は大小の鏡を投げたように見える。