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さんじゅうにこく

三十二刻

山本 周五郎

Read 三十二刻 (さんじゅうにこく) by 山本 周五郎 (やまもとしゅうごろう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 15,273 characters · 31 screens

Aozora Bunko

「屋敷内にさような痴者が居ると思うか」

「かような事が出来しますれば、どのような事をも考えなければならぬと存じます。ことに小者たちの中には新参者も居りまするし」

六郎右衛門の言葉が終らぬうち、

「……御執事」

と叫びながら兵粮番小者がはせつけてきた。

「御執事まで申上げます。誰か庫屋の酒瓶を打壊した者がござります。過失ではござりません。五瓶とも石で叩割りましたので、酒は全部流れてしまいました」

茫然として、六郎右衛門は図書の顔を見た。図書は静かに頷きながら、

「よし、分っている」

と低い声で云った。

「……わしが壊せと申付けたのだ。勝祝いをする戦ではない。酒は不用だからそうさせたのだ。戻っておれ」

「はっ」

小者はただちに走り去った。

六郎右衛門には図書の心が分った。家士たちの気持を動揺させないためにそう云ったのである。しかし……火薬といい酒瓶といい、こう続けさまに変事が起るようでは、もう屋敷内に敵と通謀する者があることは疑いない。

「如何……如何計いましょう」

「なによりもまず」

そう云いかけて、図書の眼はふと奥の方へ向いた……静かに奥から、一人の女が出てきたのである。