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いせのまき

伊勢之巻

泉 鏡花

Read 伊勢之巻 (いせのまき) by 泉 鏡花 (いずみきょうか) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 17,617 characters · 35 screens

Aozora Bunko

立花は、座敷を番頭の立去ったまで、半時ばかりを五六時間、待飽倦んでいるのであった。

(まず、可し。)

と襖に密と身を寄せたが、うかつに出らるる数でなし、言をかけらるる分でないから、そのまま呼吸を殺して彳むと、ややあって、はらはらと衣の音信。

目前へ路がついたように、座敷をよぎる留南奇の薫、ほの床しく身に染むと、彼方も思う男の人香に寄る蝶、処を違えず二枚の襖を、左の外、立花が立った前に近づき、

「立花さん。」

「…………」

「立花さん。」

襖の裏へ口をつけるばかりにして、

「可いんですか。」

「まだよ、まだ女中が来るッていうから少々、あなた、靴まで隠して来たんですか。」

表に夫人の打微笑む、目も眉も鮮麗に、人丈に暗の中に描かれて、黒髪の輪郭が、細く円髷を劃って明い。

立花も莞爾して、

「どうせ、騙すくらいならと思って、外套の下へ隠して来ました。」

「旨く行ったのね。」

「旨く行きましたね。」

「後で私を殺しても可いから、もうちと辛抱なさいよ。」

「お稲さん。」

「ええ。」となつかしい低声である。

「僕は大空腹。」

「どこかで食べて来た筈じゃないの。」

「どうして貴方に逢うまで、お飯が咽喉へ入るもんですか。