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わすれのこりのき
忘れ残りの記
吉川 英治
Read 忘れ残りの記 (わすれのこりのき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 193,050 characters · 383 screens
キザな云い方だが、人生への初恋頃といっていい。
そこでの友だちは、園丁の子の市ちゃんと洋傘直しの家の徳ちゃんだった。この三人は、余り花園では遊ばなかった。程近い相沢の町通りへ出るウラに、有名な貧民窟の一郭がある。“いろは亭”という汚い寄席の看板の下から狭い横丁のドブ板とそこの屋根全部であった。通称“いろは長屋”と呼ばれていた。そこには、どん底生活の百態が軒をならべている。住民はカンカン虫、お茶場女、ナンキン墓の墓番、大道芸人、チーハーの運送屋(シナ風の富籤)、屠殺場のアンチャン、夜蕎麦売り、といったような有職無職の人々である。とても戦後のハマの風太郎やニコヨンとよばれる人達みたいな清潔なものではない。その不潔さにも貧乏ぶりにも、やはり隔世的な差があったように思われる。
ところが、ぼくら子供は、いろは長屋の極貧の密林帯に、花園にはない禁断の実を嗅ぎ出していた。メンコ以上に博奕的でスリルのあるアテ物とか玉ツブシなどもその中の駄菓子屋で覚え、モンジヤキとか、犬だか豚の臓物だか知れない怪しげな串焼の味も知った。もうそろそろ通用価値を失いかけて家庭でも粗末にしていた穴アキ銭とよぶ文久銭やら寛永通宝の古い貨幣も、そこへ持ってゆけば立派にテッポ玉(飴)一個と交易された。