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しほんたいへいき
私本太平記(五)
吉川 英治
Read 私本太平記(五) (しほんたいへいき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 252,330 characters · 505 screens
犬小屋の錠を破って、犬どもをみな放してやれ。新右衛門、すぐ行って、放してやれ」
それを言い終ると、高時は黄金づくりの小刀を解いて、楯の死の座に、あぐらをくんだ。
彼の覚悟の容子に。
……さては早や。
と人々はとむねをつかれた。
意外でもあった。
万一、狂噪して、どうしても御自身で処決のない場合には、臣下の刃でお首を打つもまたやむをえずと、自分の刀へ、ひそかに、いいきかせていた側臣もあったのだ。
が今、その高時には、何ら狂噪の風もない。自己の運命に素直すぎるほど素直な姿で、
「春渓尼……」
と、呼び、
「わしの前へ」
と、さしまねいていた。よろい下着となった半身の白さもいとど澄明なものに見えて、彼らは逆に、自分らの死出の立ち遅れに、そぞろ慌てた。
「太守。おこころ支度ができましたか」
言ったのは、春渓尼。
その、さり気なさは、まるで遊山の誘いかのようで、手くびの数珠が、美しい指に懸け直されただけでしかない。
「尼前……。そこにいて、よう見とどけておくりゃれ」
すぐ、手の短刀は鞘を捨てた。しかし、そのとき高時の眼は発作的に、あらぬ方を見て光った。……わああっという新田勢の潮の声が体を吹き抜け、ふと彼の病質と肉の薄い兎耳をぴんと尖がらせたのだった。