Japanische Klassiker mit Furigana
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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
Lesen Sie 中世の文学伝統 (ちゅうせいのぶんがくでんとう) von 風巻 景次郎 (かざまきけいじろう) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 115.977 Zeichen · 230 Bildschirme
勿論『新古今』編纂のことだけが目あてで和歌所が設立されたか否かの確とした証拠はないけれども、事のなりゆきから見ると、密接な関係がうかがわれる。
でちょっと、和歌所の設立をうかがって見ると、土御門天皇の建仁元年七月二十七日に、後鳥羽上皇は二条殿(北殿)の弘御所を和歌所と定められ、前日来仰せを蒙っていた者たちが、その夜、役員の資格で初参集をした。寄人になったのはすべてで十一人、その名は藤原良経・源通親・源通具・大僧正慈円・藤原俊成・藤原有家・藤原定家・藤原家隆・藤原雅経・源具親・寂蓮法師である。次いで藤原清範・藤原隆信・鴨長明・藤原秀能を加え、源家長が開闔となった。和歌所は後、建仁三年二月に京極殿(東弘御所)に移された。
当時は源通親が後鳥羽院の院別当であり、その女在子は早く後鳥羽の女御となり、所生の皇子はその頃の今上、即ち土御門天皇であらせられたから、その勢力は摂政関白に対抗するものだったことは前に説明した通りで、随って、通親・通具父子が加っているのは異とするに足りぬ。ところでその下には六条家がついていて、清輔の亡き後も、その方にはなお、顕昭法橋、宮内卿季経、さらに重家の子経家・有家など、歌人の多かったこともすでに諸君の知られる通りであるが、そして中でも季経・経家たちは通親の家司でもあったのであるが、それら