Japanische Klassiker mit Furigana
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おやはながめてかんがえている
親は眺めて考えている
金森 徳次郎
Lesen Sie 親は眺めて考えている (おやはながめてかんがえている) von 金森 徳次郎 (かなもりとくじろう) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 14.403 Zeichen · 29 Bildschirme
末実り
のである。運命よ願わくば私の方針に微笑をもって好意を示せと言うの外はない。
末実り
子供はその生れる境遇によって、非常な損得をする。しかし父親だって、運命のもとにあえぎあえぎ生きているのだから致し方もない。
私は現在、男、男、女、女、男と五人の子を持っている。持っているという語は、厳格にいうと人間を物に見立てたようで面白くないから、天から恵まれたという方が正しい。
第一は父の世俗面を表現している。第二は父の科学面を代表する。第三は父の芸術面を代表する女だ。第四の女は、父の読書癖を代表するし、放慢癖と鼻っぱしを偲ばせるが、海のものとも山のものともわからない。
そこで第五の男の子になるが、これはいうまでもなく末実りである。西瓜だって胡瓜だって末実りは普通より安価であり、ことに時代と身辺の変化のせいで、風波の中にさすらえて来たのであるため父親の立場からいうと、これに対して責任観が深くなるわけである。
この風波にさらされて発育して来た末実りが、将来幸福に生きて行けるであろうか、今日までは無事らしく過ぎて来たが、親の方もかなり疲れて七つさがりになって来ているので、と多少の心配があり、しかも不精者の父親だからそう思いながら見守っているだけである。