Japanische Klassiker mit Furigana
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はるいくたび
春いくたび
山本 周五郎
Lesen Sie 春いくたび (はるいくたび) von 山本 周五郎 (やまもとしゅうごろう) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 70.094 Zeichen · 142 Bildschirme
二
……ずいぶんながいことを待ったけれど、信之助は戻って来ないし声も聞えなかった。……それで香苗は眼を閉じ、いま去って行った人の俤を記憶に留めようとした、ところがどうした訳かそこにはもう信之助の姿は浮かんで来なかった、ただもやもやとした幻のような影が、とらえどころのない形を描くだけであった。……そして哀しみのように霧が匂った。
――行ってしまった。
香苗は力の抜けた心でそう呟いた。
――自分の姿まで持って行ってしまったわ。……本当に帰って来るかしら、帰って来るかしら。
甲斐駒の嶺がぱっと、眩いばかりに朝日に輝くその頂を現した。霧が霽れだしたのである、灰白色の帷はようやく薄れ、ひき裂けたり、固まったり、また千切れたり尾を曳いたり、畑の桑や林の樹々にからみつきながら消えて行った。
香苗はそれでもなお、心残るさまに立ちつくしていた。
二
春は足早に過ぎて行った。
甲斐駒の峰々から残雪がすっかり消えると、朝毎の濃霧もいつか間遠になり、やがて春霞が高原の夕を染めはじめた。谿川の水は溢れるように嵩を増し畑の麦は日毎に伸びた。……辛夷が散り桃が咲き、やがて桜も葉に変る頃が来ると、高原はいっぺんに初夏の光と色とに包まれる、時鳥や郭公の声が朝から森に木魂し、谿谷の奥から野猿が下りて来る。