Japanische Klassiker mit Furigana
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げんだいゆいぶつろんこうわ
現代唯物論講話
戸坂 潤
Lesen Sie 現代唯物論講話 (げんだいゆいぶつろんこうわ) von 戸坂 潤 (とさかじゅん) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 251.295 Zeichen · 490 Bildschirme
処でこの現実の与えられた矛盾対立を何とか実践的に解決しようとすれば、吾々は妥協的になるか変革的になるかのどれかでしかあり得ない。なる程いずれの場合でも吾々は、この二つの相矛盾した対立物の間に媒介をつけなければならぬ。そうでなければ一方の対立物に依って他方の対立物を現実的に否定することも出来ないからだ。だが今、この後の場合の媒介は、媒介であるに拘らずもはや決して媒介として機能するのではなくて、却って現実的には媒介の否定・切断・としてしか機能しないのだ、ということを注目しなければならぬ。媒介の否定でもやはり媒介だからこそ絶対媒介ではないか、と云うかも知れないが、併し今は却って、絶対的に媒介であるに拘らず媒介ではない、というそういう逆手の方が意味を有つことが必要なのである。論理は媒介なのだからあくまで媒介を主語にして無媒介の方は云わば形容詞の位置に止まるべきものだと云うのなら、抑々認識論に於けるそういう論理主義の是非を問題にしなければならぬが、夫は後にして、そうでない限り、媒介の契機ばかりを絶対化すことは出来ない筈だ。媒介という言葉によって媒介のモメントばかりが強調されるということは、恐らくその際、妥協のようなものが媒介なるものの人間学的モデルになっているからで、田辺博士は矛盾対立の解決を専ら主体の道徳的行為