Japanische Klassiker mit Furigana
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げんだいゆいぶつろんこうわ
現代唯物論講話
戸坂 潤
Lesen Sie 現代唯物論講話 (げんだいゆいぶつろんこうわ) von 戸坂 潤 (とさかじゅん) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 251.295 Zeichen · 490 Bildschirme
物そのものをカントのように絶対化し固定化した上では、解決がこの道以外に出られないのは当然だろう。
物質――物の本質・物自体・――は認識され得ない不可知論的概念ではあり得ない筈だ。なぜならその認識可能性は、何よりも初めに、吾々人間の感性によって、直観・知覚・等々によって、実証されていたからである。吾々は感性にぞくする直観・知覚・等々を通じて、第一次的に、物そのものに接近する、即ち物そのものを認識し始める。そして、次に第二次的に、範疇を構成し、図式を定式化し、之等を適用することによって、更に物そのものにより近く歩み寄る、即ち物そのものの認識をより客観的にし具体的にする、そういう風に物自体という観念を把握することが必要であり、夫が又最も自然なのである。現象界は、単なる現象ではなくて、いつも本質――物そのもの――の現象でしかない筈であり、現象の統一的把握は当然現象の本質的把握に導く筈であり、即ち本質の把握にまで、物自体の把握にまで、導かれねばならぬ筈ではないか。もし物自体という観念を――他の如何なる場合にでもそうなのだが――その現象形態から絶縁し孤立化し固定化す(そういうことが正にカントの云う通り形而上学的なのである)のでない限り、吾々は当然、そうしなければならないだろう。