Japanische Klassiker mit Furigana
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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
Lesen Sie 下谷叢話 (したやそうわ) von 永井 荷風 (ながいかふう) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 122.971 Zeichen · 246 Bildschirme
菊池は『安政文雅人名録』に「儒。秋峰、名※(「くさかんむり/盡」、第3水準1-91-34)、字脩夫、小石川御門外菊池新三郎。」〔儒。秋峰、名ハ※(「くさかんむり/盡」、第3水準1-91-34)、字ハ脩夫、小石川御門外菊池新三郎。〕としてある。
長谷川昆渓は上毛高崎の城主松平右京亮輝充の儒臣。名は域、字は子肇、通称を与一郎という。この時年三十五である。
湖山がこの夜の作中に、「秋峰瀟洒質。子肇豪宕才。文郁齢猶弱。清詩絶点埃。子寿交最旧。辛勤十載偕。姓字馳海内。吟壇推雄魁。」〔秋峰瀟洒ノ質/子肇豪宕ノ才/文郁齢猶弱シトイヘドモ/清詩点埃ヲ絶ツ/子寿交リ最モ旧ク/辛勤十載ヲ偕ニス/姓字海内ニ馳セ/吟壇雄魁ニ推ス〕と言っている。ほぼ諸子の風概を想見ることができる。文郁は毅堂の字で、二十二歳である。毅堂の名が江戸の詩人枕山湖山ら先輩の作中に見えたのはこの時を以て始とする。(毅堂は後に湖山の需によってその著『火後憶得詩』の賛評を書いた時、弘化丙午の年には二十一であったと言い、慶応二年には四十一歳となしているが、その生れた文政八年より数うれば丙午には二十二歳のはずである。