Japanische Klassiker mit Furigana
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げんだいゆいぶつろんこうわ
現代唯物論講話
戸坂 潤
Lesen Sie 現代唯物論講話 (げんだいゆいぶつろんこうわ) von 戸坂 潤 (とさかじゅん) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 251.295 Zeichen · 490 Bildschirme
と云うことは、博士によると自然なるものはいやしくも夫が認識論や論理学で取り扱われる時は、必ず論理や認識によって媒介されたものでなければいけないというのである。これは、認識は常に認識のみを認識する、論理は常に論理だけを媒介する、という仮定に帰すると云わざるを得ないだろう。そうなれば論理絶対自律主義だ。
では論理の媒介に対する無媒介な直接態を仮定するそうした神秘主義(西田哲学の無も唯物論の物質も夫だという)をどうしたならば避けることが出来るか。論理外のものをも論理外のものとして論理化す処の例の絶対媒介しかないではないか、というだろう。併し論理が論理だけで絶対的な自律性を有とうということが、元来無理なのである。そういう企ては丁度、観念だけで世界が出来ていると考えれば甘く簡単に行くというわけで観念論を採用すると云ったようなやり方の、一つの論理学的ヴァリエーションに他ならないのであって、そういう意味に於て論理が絶対化され得ないということこそが、弁証法の弁証法たる所以だった。論理的媒介は願わくば十全であり絶対媒介であれかしだが、その絶対媒介は事実上の時間的なプロセスとして、自然乃至実在を着々耕して行くことでなければならぬ。