Japanische Klassiker mit Furigana
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めいせつじじょでん
鳴雪自叙伝
内藤 鳴雪
Lesen Sie 鳴雪自叙伝 (めいせつじじょでん) von 内藤 鳴雪 (ないとうめいせつ) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 192.693 Zeichen · 377 Bildschirme
この昌平学校へ段々入って来た寮生でその後世間に知られている人を少しばかり挙げると前にもいったが、薩州藩では黒岡帯刀氏長崎省吾氏の外、川島醇氏西徳次郎氏山本権兵衛氏、大村藩では岩崎小次郎氏、肥前藩では松田正久氏中島盛有氏(当時土山藤次郎)、土州では谷新助氏奥宮正治氏、中村藩では相馬永胤氏、久留米藩では高橋二郎氏、富山藩では磯部四郎氏、高鍋藩では堤長発氏、処士では色川圀士氏村岡良弼氏などである。なお公家の子弟に八氏大名の子弟にも八氏あった。それから私の知っている所で、文章家では肥前藩の於保武十氏中村藩の藤田九万氏、詩家では小田原藩の村上珍休氏などであった。この頃はいずれの藩からも昌平学校が開けたというので、入寮生が頻りにふえる。そこで、幕府以来の旧寮の外にまた新寮が出来て、前後の通計では入寮生が四百人以上にもなったと聞いている。かく多人数が居るにかかわらず、余り勉強はせない。その頃の教官は漢学では水本先生の一等教授の外吉野立蔵氏が二等教授私の藩の藤野正啓氏が三等教授、国学では平田鉄胤氏が一等教授、矢野玄道氏が二等教授木村正辞氏が三等教授であった。間もなく官制を改められて、太政官その他の諸省が出来たので、昌平学校は大学本校となり、開成学校が大学南校医学校が大学東校となって、教員の職名も改正せられた。