Lectura en japonés

Clásicos japoneses con furigana

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げんだいてつがくこうわ

現代哲学講話

戸坂 潤

Lee 現代哲学講話 (げんだいてつがくこうわ) de 戸坂 潤 (とさかじゅん) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.

N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 268.337 caracteres · 522 pantallas

Aozora Bunko

だが平等が平等であるためには、全く形式的な平等でしかあり得ない。少しでも内容を斟酌してはすぐ様不平等になって了うだろう。だからリベラリズムは形式主義に立って範疇組織を行なわざるを得ない。リベラリズム論理学は形式論理学となる。

観念論のリベラリズム的尻ぬぐいに於ては、一切の範疇が形式論理学的に取り扱われる。国家という範疇、社会という範疇、階級という範疇、歴史という範疇、之等は皆形式論理学的範疇として取り上げられる。他の言葉で云えば、之等が機械論的範疇体系の下に把握されざるを得ないのである。

それ故リベラリズム的反動論理学は、必然的に弁証法的範疇体系を用いることを拒まざるを得ない。弁証法は形式主義と機械論との反対論、そういう形而上学主義の正反対物だからである。――それに又、リベラリズムが少なくとも観念論の尻ぬぐいをしなければならない限り、それが形式的・機械論的・範疇を使うことを固執せざるを得ない根本的な理由があるのである。なぜなら、唯物論は必然的に弁証法的唯物論に導かれざるを得ないのであり、之に反して観念論は誤ってヘーゲルの場合のように弁証法に結び付かない限り、形式論理学に行かざるを得ない、それが近世の哲学史の教える事実だからである。