Lectura en japonés

Clásicos japoneses con furigana

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ふくおうじでん

福翁自伝

福沢 諭吉

Lee 福翁自伝 (ふくおうじでん) de 福沢 諭吉 (ふくざわゆきち) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.

N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 209.912 caracteres · 402 pantallas

Aozora Bunko

手端器用なり

広瀬淡窓などの事は、彼奴は発句師、俳諧師で、詩の題さえ出来ない、書くことになると漢文が書けぬ、何でもない奴だと云て居られました。先生が爾う云えば門弟子も亦爾う云う気になるのが不思議だ。淡窓ばかりでない、頼山陽なども甚だ信じない、誠に目下に見下して居て、「何だ粗末な文章、山陽などの書いたものが文章と云われるなら誰でも文章の出来ぬ者はあるまい。仮令い舌足らずで吃た所が意味は通ずると云うようなものだなんて大造な剣幕で、先生から爾う教込まれたから、私共も山陽外史の事をば軽く見て居ました。白石先生ばかりでない。私の父が又その通りで、父が大阪に居るとき山陽先生は京都に居り、是非交際しなければならぬ筈であるに一寸とも付合わぬ。野田笛浦と云う人が父の親友で、野田先生はどんな人か知らない、けれども山陽を疎外して笛浦を親しむと云えば、笛浦先生は浮気でない学者と云うような意味でしたか、筑前の亀井先生なども朱子学を取らずに経義に一説を立てたと云うから、その流を汲む人々は何だか山陽流を面白く思わぬのでしょう。

手端器用なり以上は学問の話しですが、尚お此の外に申せば、私は旧藩士族の小供に較べて見ると手の先きの器用な奴で、物の工夫をするような事が得意でした。