Lectura en japonés

Clásicos japoneses con furigana

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はんにゃしんぎょうこうぎ

般若心経講義

高神 覚昇

Lee 般若心経講義 (はんにゃしんぎょうこうぎ) de 高神 覚昇 (たかがみかくしょう) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.

N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 106.121 caracteres · 213 pantallas

Aozora Bunko

ということでありまして、実はこの観察ということによって、私どもはもののほんとうの相を、ハッキリ知ることができるのです。その昔、宮本武蔵は『五輪書』という本のなかで「見の眼と観の眼」といっておりますが、武蔵によれば、この観の眼によってのみ、剣道の極意に達することができるのでありまして、彼は剣道において、観の眼、すなわち心の眼の修業が、いちばんたいせつだということを力説しております。しかし、それは単に剣道のみではありません。どの商売でも、どんな学問でも、何につけても、いちばんたいせつなのは、この「観の目」です。心の眼です。有名なカントが、「哲学する」といっているのも、つまりはこの観の目でみることです。スピノーザが「永遠の相において」ものをみよというのもそれをいったものです。私どもは平生、なんの気なしに、見てみるとか、聞いてみる、とかいうことばを使っておりますが、その見てみる、聞いてみるという、その「みる」というのは、つまり心眼のことです。心の眼でものをみることです。「心ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞こえず」というのは、心の眼のないこと、心の耳をもたないことをいったのです。