Lectura en japonés

Clásicos japoneses con furigana

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はんにゃしんぎょうこうぎ

般若心経講義

高神 覚昇

Lee 般若心経講義 (はんにゃしんぎょうこうぎ) de 高神 覚昇 (たかがみかくしょう) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.

N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 106.121 caracteres · 213 pantallas

Aozora Bunko

ところで、身体の病気を治療するには、外科、内科のいずれを問わず、医者が必要のように、精神の病気を療すにも、やはり医者を要します。いずれも「先生」という医者が必要です。教育家と宗教家と、それがその先生です。それから、身の病を治療するには、むろん、その先生の技術も大事ですが、その根本のよりどころとなるものは、医学の書物です。すなわち古今のドクトルが、生命を的に研究し調査した、その報告書を、道案内として、病気の診察、医薬の調合をするのです。ちょうどそれと同様に、教育や宗教の先生は、古今の聖賢が、身体で書かれた聖典を、十分に心でよみ、身で読んで「人格」を磨き、その磨いた人格によって、他人の心の病を治療するのです。しかしこの場合です。「あんな藪医者では」ナンテ、頭から医者を信用しなければ、どれだけ名医が親切に治療してくれてもだめです。「こんな薬が利くものか」と疑っていては、どんな名薬でもなんの効果もないわけです。医者を信じ、薬の効能を信じてこそ、はじめてききめがあるのです。心病の治療を志すものもそれと同様です。まず信ずること、すなわち信仰が第一であるわけですが、しかし病人にだけ信仰を強いて、肝腎の医者その人に信仰がなくてはだめです。