Clásicos japoneses con furigana
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はんにゃしんぎょうこうぎ
般若心経講義
高神 覚昇
Lee 般若心経講義 (はんにゃしんぎょうこうぎ) de 高神 覚昇 (たかがみかくしょう) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 106.121 caracteres · 213 pantallas
愚痴と智慧
智慧がすなわち般若です。しかし、般若を単に智慧といっただけでは、般若のもつ持ち味が出ませぬから、しいて梵語の音をそのまま写して、「般若」としたのであります。こんな例は、仏教の専門語にはたくさんありますが、いったい一口に智慧といっても、その智慧には、いろいろな智慧があります。「智慧のある馬鹿に親爺は困りはて」という川柳がありますが、あの智慧のある馬鹿息子がもっているような、そんな智慧は決して、般若の智慧ではありません。元来、仏教ではわれわれ凡夫の智慧をば仏の智慧と区別して、単に識といっております。
愚痴と智慧 その識とはつまり迷いの智慧のことです。愚痴という智慧が、この識です。愚痴の痴はに知という字ですから、つまり智慧が病気にかかっているわけです。したがって、それはもちろんほんとうの智慧ではありませぬ。いったいものの道理を、真に辨えないから、いろんな悶え、悩み、すなわち煩悩が出てくるのですが、愚痴は、つまりものの道理をハッキリ知らないから起こるのです。で、人間が仏陀になることを、識を転じて智を得るといっておりますが、それは結局、迷いを転じて悟りを開くということと同じ意味で、要するにわれわれ迷いの人間が、悟れる仏陀になるということです。