Clásicos japoneses con furigana
ja-reading.com
Lee clásicos japoneses en línea con furigana. Filtra por nivel JLPT, toca una palabra para ver el significado y traduce una frase.
にっき
日記
宮本 百合子
Lee 日記 (にっき) de 宮本 百合子 (みやもとゆりこ) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 22.923 caracteres · 46 pantallas
五月十五日
五月二十日
Feminist を失っても womanhood はその希望と夢を持って遺されるから悲しい、と云うような意味。田舎の人々の間にあって、自分の感じて居る simplicity の快さは、彼等が、何にも内面的な競争を持って居ないからではないか。私が多くの女友達の(普通の)間に於て感じる或る除外された心持は、同じそう云う原因から来るのだろう。
五月十五日
「新生」の全部を読終って自分の胸に残ったものは、愛の深大な力の与えるもの、育てるものの価値である。愛は一切であると云う心持さえ起る。藤村氏に比して、節子という人の心の力の大きさを思う。或人は彼女が女性であるが故に、そう一本気になれると云うかもしれない。けれども、女性である彼女が、生命の価値を其処にまで深め得た力は、藤村氏の心とは又異ったものがあるのではなかろうか。然し此の小説は自分に種々のことを思わせる。つまりは有難い人の心である。
五月二十日
浅草の帝国館に行って、マグダラのマリアを女主人公にした、リデンプションを見た。十字架を負うたキリストが、群衆に嘲笑されながら刑場に牽かれて行くのを見たら涙がこぼれた。