Clásicos japoneses con furigana
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りりょう
李陵・山月記・弟子・名人伝
Lee 李陵・山月記・弟子・名人伝 (りりょう) de Nakajima Atsushi (中島 敦) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 65.013 caracteres · 129 pantallas
五
まったく。」
五
のろまで愚図の悟浄のことゆえ、翻然大悟とか、大活現前とかいった鮮やかな芸当を見せることはできなかったが、徐々に、目に見えぬ変化が渠の上に働いてきたようである。
はじめ、それは賭けをするような気持であった。一つの選択が許される場合、一つの途が永遠の泥濘であり、他の途が険しくはあってもあるいは救われるかもしれぬのだとすれば、誰しもあとの途を選ぶにきまっている。それだのになぜ躊躇していたのか。そこで渠ははじめて、自分の考え方の中にあった卑しい功利的なものに気づいた。嶮しい途を選んで苦しみ抜いた揚句に、さて結局救われないとなったら取返しのつかない損だ、という気持が知らず知らずの間に、自分の不決断に作用していたのだ。骨折り損を避けるために、骨はさして折れない代わりに決定的な損亡へしか導かない途に留まろうというのが、不精で愚かで卑しい俺の気持だったのだ。女※氏のもとに滞在している間に、しかし、渠の気持も、しだいに一つの方向へ追詰められてきた。初めは追つめられたものが、しまいにはみずから進んで動き出すものに変わろうとしてきた。自分は今まで自己の幸福を求めてきたのではなく、世界の意味を尋ねてきたと自分では思っていたが、それはとんでもない間違いで、実は、そういう変わった形式のもとに、最も執念深く自己の幸福