Lectura en japonés

Clásicos japoneses con furigana

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はんにゃしんぎょうこうぎ

般若心経講義

高神 覚昇

Lee 般若心経講義 (はんにゃしんぎょうこうぎ) de 高神 覚昇 (たかがみかくしょう) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.

N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 106.121 caracteres · 213 pantallas

Aozora Bunko

理想です。

愚かなる我は仏にならずとも衆生を渡す僧の身たらん

と、古人もいっておりますが、たとい、自分は仏にならずとも、せめて一切の人々を、のこらず彼岸の世界へ渡したいというのが、大乗菩薩の理想です。だから極楽に生まれ、浄土へ行っても、自分独りが蓮華の台に安座して、迦陵頻伽の妙なる声をききつつ、百味の飲食に舌鼓を打って遊んでいるのでは決してありません。菊池寛氏の『極楽』という小説の中にこんな話があります。あるお婆さんが、望み通りに極楽へ往生した。はじめのうちこそ、悦んでおったものの、しまいには、いささか退屈を感じ出したのです。そして苦しい娑婆(忍土)の方が、かえって恋しくなったというようなことを、巧みな筆で面白く書いていましたが、それはつまり多くの人たちが、顛倒夢想している極楽の観念を、諷刺したものです。真の極楽はそんなものでない事を暗にいったものです。親鸞上人は「煩悩の林に遊て神通を現ずる」(遊煩悩林現神通)といっておられます。「煩悩の林」とは、苦しみに満ちているこの迷いの世界です。で、つまり極楽へ往生して仏になることは、呑気に気楽に浄土で暮らすことではない、再び娑婆へ還る事です。